文化財一覧(美野里エリア4)

板碑・青石塔婆(工芸品)

板碑は、中世特有の石塔で形が板状の石を使用しているところから平仏・板石塔婆・板碑などと呼ばれ、秩父地方より産出する緑泥片岩を使用している物は青石塔婆とも呼ばれる。町内での板碑の発見は非常に珍らしく、彫られている貞和5年(1349年)は北朝の年号で、年号の入った石仏・石塔中美野里町で最も古いものである。

五万窪遺跡(史跡)

この遺跡は、古代製鉄炉(たたら製鉄)跡である。通称10軒前金くそう山と呼ばれていた所で、昭和59年東工大製鉄跡研究会(道家達将会長)と美野里町教育委員会の発掘調査によって炉床(縦約1.2メートル、巾0.4メートル隅丸長方形)が確認され、多量ののろ(こうさい・金くそ)や炉壁片、燃料としたかた木炭が滅失しないで発見された。製鉄年代については、炉の構築様式、遺物等から判断して室町時代ごろであろうといわれている。

稲荷山古墳(史跡)

巴川右岸台地、柴高上池似西方の山林内にあり墳上に稲荷社が祀られ、子どもの夜泣きどめに霊験あらたかな豆腐稲荷として信仰されている所である。直径26.5メートル、高さ2.8メートルの円墳で円筒埴輪が出土している。古墳時代後期、この地方に勢力を持った豪族の墳墓と推定される。

鹿島神社本殿(建造物)

鹿島神社本殿(建造物)

本殿は、彫刻その他の建築様式から推測して鎌倉期の設立(神社誌)と伝えられているが数度の修復が加えられ、特に江戸中期に大修復の手が加えられたのではないかと思われる。1間社流造りで彫刻部分1部色彩、茅茸きであったが、現在はカラー鉄板覆いとなる。明治維新は、石岡市小井戸、竹原中郷、竹原新田、竹原上郷、鶴田、三ヶ、馬場、小川町宮田、中根九ヶ村の郷社であったが、維新後は上馬場と竹原中郷の鎮守社となっている。古来は流鏑馬の神事も行われ、近郷近在からの参詣人賑わい社領三石の格式高き神社で9通の朱印状が残されている。

竹原神社神輿(工芸品)

この神輿は毎年7月22日、3日に行なわれる竹原区のアワアワ祗園に、みろく・ささらと共に町内を渡御するものである。総欅造りで、本体の高さ1.37メートル、胴幅40センチ、重量172.4キロ、色彩は殆んどなく欅生地の美しさを活かし、屋根は黒漆仕上げ、より小形であるが造り方も全く同じであり美術工芸品としても価値が高いものである。

仁王像(工芸品)

仁王像(工芸品)

仁王像は、もと小幡円寺の末寺山中広諦寺の山門に安置されていたものである。明治末期、火災のため広諦寺と山門は燃失、幸いにして仁王像は2躰とも搬出し難を免れた、阿形183センチ、吽形190センチ、桧材寄木づくりで江戸時代末期の作と思われる。胸部、頭部共に扁平型で仁王像に見られる力強さ迫力等に欠けるところもあるが、美野里町唯一の仁王像として貴重である。

ウバユリ群落(植物)

和名は姥百合で、花期には茎の下の根が枯れるので、葉を同音の姥の歯に掛けて名がついたという。本州以西に分布し、東日本では北関東あたりが北限の地域とみなされているユリ科の多年草。太い茎が直立し、高さは1メートルを越す。テッポウユリに似た上品な白緑色の花は7月中旬から8月上旬まで見られる県内では保存状態の良い森林に生育するが、この群落ののように植裁された杉林の林床に1アールあたり250株という高密度の群落は他に例がない。

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